『跳びはねる思考』に再び出会った
こんにちは。私は今年の3月から、垂坂山ブルーミングハウスで、入所者担当の看護師として働いています。
以前からぱんカフェ ブルーミングが好きで、ブルーミングハウスの存在は知っていました。ですから、ハローワークで四日市福祉会の求人を見つけたとき、なんのためらいもなくすぐに応募しました。今回のコラムでは、入社してからの看護師として感じたこと等を書いていきたいと思います。
【目次】
1.はじめに
2.もりのいえ
3.まとめ
1.はじめに
まずはじめに感じたことは、丁寧に施設の説明をしてもらい入職したものの、多くの(40人前後)入所者さんの名前に加えて、特徴、病気は何があるのか、など頭に入れるのは時間がかかるということです。入所者さんのフロアに行くと、すぐに私を見つけて話しかけてくる人、私のことは目に入っていない(ように思える)人、よく一緒に通院に行く人、まったくお薬を飲んでいない人、たくさん飲んでいる人・・・。みんなみんな違います。
職員さんもパートさん含めて、これまた多いなあ!!と驚いています。当法人では障がいの方の特性に応じていろいろな支援をしています。そのため多くの支援者がいるのです。まだきちんとご挨拶をできていない人がいるくらいです。
2.もりのいえ
私には思い出深い知的障がい者施設があります。東京にある「もりのいえ」(仮称)。当時の住所の近くにあった知的障がい者用グループホームで、女性4人が暮らしていました。私はまだ看護師ではなく、もりのいえの管理者の代替えの仕事をしていました。
4人の顔。今ではご高齢になっていますので雰囲気は変わっているでしょう、でもどこかで会ったら、絶対にわかる自信があります。4人は時に衝突し、時に優しく気遣い、笑いあい生活していました。何年か勤務しているうちに、人のケアをするには、ある程度の確実な知識があるべきだと思うようになり、看護師になりました。なので4人と、その時の勤務先は私の恩人です。看護学校の3年生になり、実習に追われるようになったため退職しました。
その後病棟看護師の経験を数年、ケアマネージャーの実習を経験し、再び知的障がいとともに生きる人を支える仕事に就くことになったのです。
今の仕事をしながら、もりのいえのあの時はこういうことだったのかな、看護学校ではこういう勉強をしたな、など、自分の過去と再会しています。そこに日々、支援員さんたちが教えてくれることが大変助けになります。支援員の方が日々接して感じ取る生活の変化。その人がどうやって生きてきたか。私自身は、日頃は医療業務(受診・検査の同行、薬剤管理、処置、医療の相談)中心となっており、なかなか入所者さんの生活の場にとどまることはできません。しかし、入所者さんと車で二人きりで受診に行く時、そこだけが、じっくりその人と接することができる数少ないチャンスなのです。
私が忘れ物をしたと知り、「大丈夫?偉い人におこられない?」と気にかけてくれる方もいます。あまり余計な心配をかけさせてはいけませんね、と思いつつ、私は優しくしてもらい嬉しくなってしまいました。一緒に車からの季節の変化について話したり。家族や思い出話を聞くこともあります。
3.まとめ
他にも嬉しかった再会があります。東田 直樹『跳びはねる思考』(イースト・プレス 2014年)。東田さんを紹介した NHKスペシャルをテレビで見て、自閉症の人でも私達が気づいていないだけで、精神世界には驚くような広がりがあることを知ったのです。当時はこの本を図書館で借りて読みました。再会は四日市福祉会の貸し出し書籍の中でした。東田さんのように、自閉症でありながら言葉という我々と共通のツールを使える方は稀です。だから余計に世界が驚いたのです(世界で翻訳されベストセラーになりました)。どうして怒っているの、答えないの、話が飛んでいくの?私たちには困る場面で、東田さんは自分の心の世界で何が起こっているのか自分の言葉で伝えます。読んでいない方はぜひ一度読んでみてください。
新しく就いた仕事では、多くの再会が私を支えてくれることになりそうです。